「…ぃ、おい!ったく、寝てんじゃねぇっつの」

「………う?」


自分を呼ぶ声に起こせれてリョーマが目を開くと、そこには何故か切原赤也の姿が。

いや、別に変ではない。自分達は親密な…所謂、恋人という関係なのだし。

疑問に思うとしたら、何故今、自室に入ってきているのかという事ぐらいだろう。





> 海





「…何で居るの?赤也…」


まだ眠い!と言わんばかりの声に、切原は呆れたように溜息をついた。


「はぁ?今日は海に行く約束だろ。何だよ、行きたくねぇのか?」

「…海?海…ああぁ!!?」


リョーマが起き上がると、時計を見た。…時刻は五時。

それを見て少し切原に殺意を覚えたリョーマだった。


「…まだ五時じゃん。ほんと、何で家に居るわけ?」

「南次郎さんが寺に居てさ。話したら家に入れてくれたぜ?」

「あのクソ親父…」


しかし折角愛しい恋人が来たのだからと、リョーマはもそもそとベッドから降りた。

そして着替えを始める。


「リョーマ、着替えるなら海パン穿いとけよー」

「なら部屋から出ろよ!」

「んなの今更だろ?お前のなんて前どころか後ろの穴まで見たっつの」

「馬鹿ー!!」


リョーマが渾身の力を込めて投げた枕を、切原はいとも簡単に受け止めた。

そしてにやにやと笑う。


「本当の事だろうが。早くしねーと、リョーマの体温の残ってるベッドで寝ちまうぜー」

「うわ、ちょっとマジでタンマ!!」


リョーマは恥をのんでパンツを切原の前で穿き替え、寸での所で寝られてしまうのを防いだ。


「もう、早く行くよ!」

「へへ、朝からリョーマの桃尻見ちった♪」

「馬鹿赤也!」


本日二度目の悲痛な叫び。

リョーマは機嫌を損ね、家を出てから電車に乗るまでの間、一言も口を利かなかったらしい。

哀れ切原赤也。自業自得であった。





「おーい。そろそろ機嫌直してくれって」

「………馬鹿。変態。ハゲ」

「はいはい…って、最後のを聞き捨てならねぇ!」


『俺んとこの副部長じゃあるまいしさ〜』そう愚痴ってる赤也を、リョーマはちらりと見た。

少し癖のある髪。意地悪そうなつり目。薄めの唇。整った輪郭。

パッと見、良い男である事は理解していた。中身も…下品なとこを抜かせば、優しかったりする。

今日も何だかんだ言って、迎えに来てくれたのだから。

そんな事を思っていると、その男に好かれている自分に少し喜びを感じてしまった。


「どーした?顔、赤くなってるけど」

「な、何でもない…」


リョーマは熱くなる頬を俯いて隠し、その代わりとばかりに切原の手をギュッと握った。

それに応えるように切原も手に力を込めた。

海近くまでの電車の中、その手が離される事は決してなかった…らしい。





「アンタってやっぱ最低!」

「ちょーっと尻触っただけだろが」

「ちょっと?!恋人に痴漢する男なんて、初めて見た!」


リョーマはついた先のビーチの砂浜で、怒りの声を切原に向けていた。

けれど切原はというと、悪いと思っていない表情で飄々としている。


「…もう赤也なんて知らない!俺、泳いでくるから!」

「じゃあ俺も泳ごうっと」

「ついて来ないでよ!」


周りで遊んでいたギャル達も、この若い男同士のカップルの痴話喧嘩に笑っていた。

…リョーマは気づいてなかったが。





「…ついて来ないでって言ったじゃん」

「俺は別に了解してないしー」

「………」


沖の方まで来ると、流石に人は居なかった。

二人は海でプカプカ浮かびながら、言葉のやりとりをしている。


「大体!赤也はおおっぴら過ぎるんだよ!人が見てる前では止めてよね!?」

「リョーマが先に俺の手、握ってきたんだろ?そっからちょーと手を伸ばして尻触ったからって、俺が悪いのか?」

「赤也が悪いに決まってるでしょ!」


常識とか節度とかモラルとか。

そんな言葉を他人に押し付けるのは大っ嫌いなリョーマだが、切原相手には口も酸っぱくなるらしい。


「俺がどんなに恥ずかしいかっ……いッッ!」

「どうした?!リョーマ?」

「あ、足が攣った…!」


陸地なら問題なかったが、此処は海。

しかも沖の方まできてしまったので足は勿論つかない。

切原はリョーマを掴まえようと、慌てて近寄った。


「?!うわっ!」

「…?!リョーマ!!!」


もう少しの距離。テニスで例えるならボール二個分。届きそうだが、届かない距離。

大きな波の振動で身体が大きく揺れ、リョーマは海中に沈んでいってしまった。


「くそっ…!」


切原も海に潜り、沈みゆく愛しい人の身体を掴もうと、海の中で手足を動かした。

南の方の綺麗な海というわけではないので、視界はないに等しい。

その触感だけを頼りに、切原は潜った。















「………リョー……リョーマ…」


大好きな声がする…。リョーマは曖昧な意識の中、切原の声を聞いた。

リョーマより幾分低い声。その声が、今は悲痛な叫びのように聞こえる。


「たの…むよ……目、開け…ろ…って……」


途切れ途切れ、壊れたラジオのように聞こえてくる音。

その言葉に従うように、リョーマはそっと目を開こうとした。…目の前が、白く輝いている。


「リョーマ?!」

「…ゴホッ、あれ…赤也?どうして、泣いてるの…」

「馬鹿ヤロー…。お前が死んじまったかと思ったんだよッ…!」


ギュッと抱きしめられ、リョーマもその背中をそっと抱きしめ返した。

周りでは同じようにリョーマの意識が戻るのを待っていた海水客が、惜しみなく拍手をしている。


「…何だよ、人前でもいいのか?」

「今だけ…特別」

「ま、そうだよなー。俺って恋人救うために、人工呼吸までしちゃったし♪」


あくまで飄々と言う切原に、いつもなら鉄拳をとばすリョーマも…

この日ばかりは顔を真っ赤にして抱きしめられていたらしい。

素直じゃないカップルの距離をぐっと近づけた、夏の水難事故。。。